表面上の利益と見えないストレスというコスト

本当に些細な話なのだけど、うちの両親と妻の両親は考え方が真逆です。

うちの両親は一言で言うと清貧主義。倹約家。外食は本当に数えるほどしかせず、子どもを気づかってたまに連れていってくれるも、自分は一番安いメニューの単品のみ。

食事も非常に質素であり、ある意味余計なものを食べないので還暦を超えた今も健康そのものです。

常にいかに金を使わないかを考えている。それはそれで素晴らしいのですが、金を使うこと=悪、というのをまざまざと見せつけられるので、その押し付けが時にものすごいストレスに感じる時があります。

一方で妻の両親は、金を使うべきところは惜しまず使う。自身で商売をし、かつ途中からは特殊な仕事をずっとしていたこともあり、金の使いどころを心得ているように感じます。

特に食事は、日々の生活の源だと考えているようで、なるべくいい材料でたくさん作るようにしているそうです。自分でも庭で野菜や果物を育て、採れたての野菜のサラダを作ってくれたりします。

最安を突き詰めることのデメリット

妻と結婚して始めのころ、あちらのお母さんの手料理をいただいたことがありましたが、そのときの衝撃は計り知れませんでした。

料理ってこんなに深い味がするのか、何を食べても信じられないくらい美味い。。

特に20代なんて大して良いものを食べる機会もなく過ごしてきたので、本当に良い食材を使った料理を初めて食べて、大袈裟ではなく、本当に感激しました。

庭でできた蜜柑を使ったジュース、茨城の鉾田で作られる、季節限定で食べられる信じられないくらい美味いメロン。あと白米がシンプルに美味い!

また近所同士で美味しい食べ物の交換もよくしています。

カルチャーショックでした。今でも続くそんな茨城の生活は僕を心身ともに健康にしていってくれたように感じます。

もちろん、家計の問題があるので、いつも良い食材を使った料理が食べられるわけではないものの、何にお金をかけるべきかで、生活の豊かさは格段に変わるのだ、というのを実感した出来事でした。

僕はというと、とにかく安いものを買う!という教育方針で育てられた影響からか、大してこだわりのないものについては極端に最安志向に走りがちです。

で、おそらくその興味のないものの中には、本来良いものを買った方が、長期的なコストパフォーマンスが良くなるであろうものも含まれているのだと思います。

例えばAmazonで安い靴を買って三ヶ月くらいで壊したり、食べ物も安さばかり気にして満足感が毎回低かったり。。要は買い物下手なんですね。

妻はというと、そういう家庭で育ったので、決して無駄遣いはしませんが、使うときは変に節約せず、自分が満足できるような使い方をします。

それに対して最初はオイオイ、、と思っていたものの、今では考え方も変わり、確かに金を節約するのが目的になったらアカンよな、と思うようになりました。

まとめ

別にうちの両親をディスりたいわけではなく、金を貯めるのは手段であって目的ではない、ということに気づかされました。

金の使い方って奥深いですよね。安いものを買っていればいいわけではなく、自分の生活を限られた予算の中でどう豊かにしていくのか、考えながら使っていかなければなりません。

当たり前のことではありますが、最近とみに思うこととして、書き留めておきます。

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