解像度高く、生きたい

雑記

最近、読んで面白いなあ!と思った漫画家で、panpanyaさんという方がいる。

panpanya - Wikipedia

2000年代後期より活動をされているとのことで、年に一冊のペースで短編集を出されている、おそらく知る人ぞ知る漫画家さんなのだと思う。恐れながら僕は存じ上げず、Amazonのセールのタイミングでたまたま見つけ、えらく評判が良いので読んでみたらハマってしまった。

あまり漫画っぽくない装丁に、中身もラフな線画の女の子と緻密に描かれた風景と、という独特な世界観が特徴だ。同人誌っぽさのある、刺さる人にはとにかく刺さる世界観である。

テーマとしても、主に日常系×ちょっぴりファンタジーといった感じで、移動する商店街の話とか、ブロック塀を調達する話とか、たまたま見つけた果物を外国に探しに行く話とか、おにぎりのシールを保存する話とか、どこまでが真実でどこまでがファンタジーなのか見分けがつかない。

とにかくマニアックであり、でも読んでいてほー!と思わずため息をついてしまうような、そんな話が多い。

まるで短歌のような

また、僕は滅多に歌集を買うことはないのだけど、たまたまXで見かけて好きになった、千種創一さんという方がいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/千種創一

おそらく僕と年齢は近いと思うのだけど、歌人であり、ヨルダンやレバノンに一時期いたようで、そうした風景なども短歌の中に出てくる。

枯れるなら声は花かも 鴨川はいくつも声を浮かべ流れる

僕は全く、短歌のことはわからないけど、時折歌集を開いて短歌を眺めていると、胸の内がスーッと清涼感のある気持ちになる。切ないような、日頃感じることのない感情が湧いてくる。

最近、久々に吉本ばななさんの「デッドエンドの思い出」を読んでいるのだけど、それも近い気持ちになる。

おそらくだけど、これらのコンテンツは解像度が高いな、と感心しているのだと思う。

同じ景色を見て、得られる情報や、感じ方が全く違う。

僕は同じものを見ても、何も感じないし、そこに楽しさも愛おしさも、切なさも感じない。

でも、上に挙げた人たちは違うのだろう。世界の解像度が違うのだ。メガネの度数が違うのか、もしくは高性能なフィルタがかかっている感じ。

緯度経度は同じだったとしても、生きている世界が違うとも言える。

解像度高く生きたい

最近はとにかく仕事が忙しく、平日は仕事をして遅くに帰って、わずかな時間で本を読んだり、ゲームをしたりしているけど、僕も解像度高く生きたいと思う。なぜなら、それが幸福に繋がりそうな気がするから。

以前、超相対性理論というPodcastで、スピーカー(深井さんだったと思う)の人が人生を楽しく生きるためにはある程度のリテラシーが必要なのかも、という話をしていたことを思い出す。

リテラシーというのは、例えば歴史的建造物を見て背景を理解している、とかそういう話なのかもしれない。例えば、太宰府天満宮を訪れて、菅原道真の境遇に思いを馳せるとかはそうなのかもしれない。

また一方では、ある風景を見て、歌人のように全く別の事象と結びつけて帰納法的に世の中を楽しむ感性もそうなのかもしれない。

結局のところ、そうしたモノを楽しめる心の余裕と、心の豊かさが人生を幸福にするのだろう。思うに、非常に刹那的になっている現代、そうしたところに幸せのヒントがあるかも、と感じる人は少ないのではないだろうか。

鈍感な僕だが、そんな僕でも家族や子どもと接していると、色褪せている世の中が少し彩を取り戻す感じがある。

おそらく、このあたりの感覚は人によって異なり、幸せなんぞ人それぞれだ、という話に帰結するのだろうが、そうした心の豊かさは大事にしたい。

人が人らしく生きるために、あまり言語化されない感覚なのかもしれないと、ふと思った。

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